国分寺蚤の市(骨董市)は2月4日!
高野山金剛峯寺へ表敬訪問

摂津国分寺から長谷部真道猊下を表敬訪問いたしました。

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摂津国分寺の歴史

水かけ不動尊
水かけ不動尊

次の蚤の市(骨董市)は2月4日です!

みのり
みのり

2月8日(水曜日)は国分寺御廟全館がお休みです。

摂津国分寺の歴史をまとめています。

当寺の歴史は長く複雑です。

そのため、建造物の歴史名称・宗旨の歴史に分けて説明しています。

摂津国分寺の歴史

建造物の歴史

摂津国分寺の建造物は669年にできました。

古代

場所は長柄豊碕宮(650年代造営/前期難波宮とも)の跡地で、創建時の名称は長柄寺。

といっても、長柄豊碕宮は680年代に全焼したという説もあって、最初から座礁に乗り上げました…(執筆者の私が)。

とにかく話を進めます。

中近世

時代が大きく飛んで、摂津国分寺のボディは、1614年に大坂冬の陣によって全焼。

その後の約100年間、当寺周辺は荒廃しておりました。

1718年(江戸時代)、快円律師が摂津国分寺を復興しました。このため、律師は中興の祖といわれるようになりました。

近代になっても国分寺は目まぐるしく変化しました。

近代

1870年前後、新政府が実施した廃仏毀釈や神仏分離政策によって、12400坪の境内・寺領が小さくなりました。

境内は地元農民に分配し、寺領は上地したのです。

この結果、国分寺所有地は2200坪の本坊のみとなりました。

1897年、本坊にて教昇大僧正が諸堂を営繕し、聖武天皇尊殿や記念碑を建立。

現代

しかし、1945年6月15日の大阪大空襲により、旧書院門(現山門)の2本の柱を残して、ほぼすべての寺宝を焼失しました。

アジア太平洋戦争のダメージは大きく、1960年代にようやく、今の国分寺に繋がる建造物が建てられはじめます。

  • 1965年:昭和金堂(現本堂)、護摩堂、霊明殿などを落慶。
  • 1972年:大梵鐘を再鋳し、鐘楼堂を完成。
  • 1984年:元客殿の通用門を本坊の正門として移築して通用門を別置。周囲の土塀を修復。本堂前に東大寺型大燈呂や仏足石を奉置。

そして、21世紀。

2021年に堂内墓地(国分寺御廟)を完成し、今にいたります。

名称・宗旨の歴史

741年、聖武天皇が国分寺創建を発願し、1国1寺を目標に国分僧寺こくぶんそうじ国分尼寺こくぶんにじが作られていきました。

国分寺と国分尼寺の違い

  • 国分僧寺:①金光明四天王護国之寺、②のちに国分寺と略称した例が多い
  • 国分尼寺:①法華滅罪之寺、②のちに法華寺と改称した例が多い

長柄国分寺の誕生

このとき、長柄寺ながらじ摂津国せっつのくにの国分僧寺(国分寺)に指定されました。

各地の国分寺・国分尼寺は2つの特徴に大別されます。

  • 更地に建てたもの
  • 旧寺を転用(改称)したもの

摂津国分寺は2つ目の特徴をもっています。

つまり、旧寺の長柄寺を(摂津国)国分寺として転用・改称したわけです。そのため、長柄国分寺ともいわれてきました。

摂津国分寺の別称・他称

また、各地の国分寺には、光明四天王護国の寺であるよう期待されたため、護国山国分寺ともいわれてきました。

江戸時代に摂津国分寺は、快圓比丘が中興して、真言律宗の律院となりました。この頃、正岡山金剛院しょうこうさんこんごういんともいわれていました。

江戸時代のエピソードは、次項《「摂津名所図会」にみる国分寺》で詳しく紹介します。

「摂津名所図会」にみる国分寺

ここからは、国分寺の文字(名称)が登場する文献から、摂津国分寺の描かれ方をたどります。

書の旅です。

「摂津名所図会」とは

「摂津名所図会」は、秋里籬嶌ほかが著述した江戸時代の書籍です。出版年は不詳で1796年から1798年頃(寛政8〜寛政10)。

「セッツメイショズエ」と読みます。

国立国会図書館デジタルデータ(PDFファイル)68/77枚目で確認できます。

さっそく要約します。

真言律宗の正岡山金剛院

国分寺は国分寺村にあって、真言律宗正岡山金剛院しょうこうさんこんごういんといいました。

本尊が阿弥陀仏で、聖徳太子が作った座像。長さみたけが1060mm(3尺5寸)ほど。

不動堂が門内の西側にあり、赤不動尊と。これは弘法大師が作ったもので、最初は高野山に安置されていました。

地蔵堂が東側にあり、敷石地蔵尊いいました。もともと、玉造鍵屋坂にありました。

当寺は、国ごとの国分寺の1カ寺で、本願が聖武天皇、開基が行基僧正。荒無の後、快圓比丘が中興して律院となったのです。

国分寺料は、むかし、一万五千束のほか、施料のことでもありました。このことは「延喜式」や「文徳実録」で確認できます。後世に廃して、今はわずかに残るだけです。

2つの摂津国分寺

また、東生郡にも国分寺がありました。どちらか1カ寺が国分尼寺の跡地でしょう。結論は後世に譲ります。

全国の国分寺

国分寺建立の詔を契機とし、国分寺造司によって、奈良朝廷(平城京)支配下68ヶ所に国分僧寺と国分尼寺の二ヶ寺が督励されました。

いずれも、当時の寺院のまま現存しているとは考えにくいです。『日本寺院名鑑』に「国分寺」は59か寺が登載されています(日本寺院名鑑刊行会編纂『日本寺院名鑑』上、名著普及会、1982年、146頁)。

国分寺建立の詔が奈良時代に発せられたことから、平安時代の国分寺に関する研究は全国規模で少なく、摂津国分寺もどんな歴史をもっていたかを辿れません。

江戸時代、「全国」という言葉が定着しながら、お国自慢のブームのもとで、国分寺建立がトレンドになりました。多くは諸国の豪族や大名らが復興再建しています。

復興再建ブームの江戸時代、国分寺の宗派は多岐に跨りました。

  • 真言宗系…29
  • 天台宗系…9
  • 禅宗系…11
  • 浄土宗系…4
  • 浄土真宗系…2
  • 日蓮宗系…1
  • 律宗系…2

2つの摂津国分寺

『日本寺院名鑑』は2つの摂津国分寺を併載しています(日本寺院名鑑刊行会編纂『日本寺院名鑑』上、名著普及会、1982年)。

  • 国分寺…真言宗国分寺派(住所・大阪市大淀区国分寺1-6-18、代表者・西口公教/1242頁)
  • 国分寺…黄檗宗(住所・大阪市天王寺区国分町165、代表者・天野法山/1260頁)

摂津国分寺の成立や古代の立地には2つの見解があります。

  1. 生野国分寺説(大阪市の説/天王寺区説)…いまの天王寺区国分町にかつて存在し、741年以降に建立。根拠 ☞ 国分寺建立の詔を前提に、奈良時代の蓮華文軒瓦や唐草文軒瓦が国分町で出土。研究史的に石井信一「摂津国分寺」(角田文衛編纂『国分寺の研究』上、考古学研究会、1938年。大阪市の詳細はこちら
  2. 長柄国分寺説(当寺の説/北区説)…このページの「ボディ」と「名前(名称)」にまとめた内容。依拠した文献はおもに次です。研究史的に西口公教「国分寺創設の前提として奈良時代における国家と仏教について」(『弘法大師御入定1150年御遠忌』大本山国分寺、1983年、30頁から34頁)。

角田文衛編纂『国分寺の研究』

角田文衛編纂『国分寺の研究』上下、考古学研究会、1938年。

この本のうち石井信一が書いた「摂津国分寺」には、1938年刊行時に国分寺とする寺院が2個あると述べています。「摂津名所図会」を踏まえた見解です。

そして天王寺区生野国分町天德山国分寺と北国国分町正国山金剛院とを挙げ、先述の軒瓦を根拠に、生野説を採っています。

やや脱線しますが「摂津名所図会」は長柄国分寺を真言律宗の「正岡山金剛院」とみていました。これに比べ『国分寺の研究』では「正国山金剛院」となっています。

正国山(金剛院)を示す軒瓦。大阪市北区国分寺にて2022年11月24日に撮影。

正岡山と正国山をどう見るか?

この点を詰める作業も難しいですね。古代から近世までの文献の発掘を祈るしかありません。

みのり
みのり

お兄ちゃん、長すぎてブレイクになってない!

こきょう
こきょう

見解が分かれている一方で似ている点も多く、よけいにややこしいです。

みのり
みのり

地名では「北区国分寺」と「天王寺区国分町」。公園では北区に「国分寺公園」、天王寺区に「国分公園」、さらに、どちらにも大阪シティバスの停留所あり。北区が「長柄国分寺」、天王寺区が「国分町」。

こきょう
こきょう

あれこれ調べると、河内国分も気になる!

みのり
みのり

行ってらっしゃい!

おわりに

大阪市の説(天王寺区説)は次の点で曖昧です。

  • 国分寺建立時に国分寺と国分尼寺(だいたい法華寺)が各地でカップル指定されました。僧寺と尼寺です。摂津国の場合、法華寺の場所は大阪市東淀川区柴島2丁目ですから、天王寺区国分町から遠すぎます。
  • 奈良時代の蓮華文軒瓦や唐草文軒瓦(宝相華文軒瓦)は、天王寺区や周辺以外にもたくさん埋まっているのでは?たとえば、古代難波京域内と想定する百済寺・百済尼寺の瓦がどうだったか、検証が望まれます。

近年、デジタル技術の向上にともない、考古学の研究も高い水準に達しています。

とはいえ、これ以上、大阪市内を掘っていくことは難しく、2つの摂津国分寺のうち、どちらかの国分寺を本来の国分寺に帰結させることは無理でしょう。

みのり
みのり

とにかく当寺は、江戸時代・近代から今にいたるまで、ボディとしても名称としても「摂津国分寺」として機能してきました。

こきょう
こきょう

波乱万丈の歴史を見守りながら、僧侶・職員ともども、みなさまのお越しをお待ちしております。

動画でみる摂津国分寺の歴史

Youtubeにて摂津国分寺の歴史を動画でご紹介しています。

管長が分かりやすく説明していますので、ぜひご覧ください。

  1. 孝徳天皇―長柄宮を遷都…①勅願道場としての国分寺の歴史、②長柄宮から長柄寺へ。
  2. 人を豊かにする思想―仏教の教え…①本来の閼伽水に知る生活の知恵、②疫病退散と政治。
  3. 国分寺と国分尼寺…①摂津国分寺(旧国分僧寺)と法華寺(旧国分尼寺)のセットが珍しく現存、②国分尼寺の設置は女性の自由さを明示。
  4. 戦国時代―荒廃する国分寺…①豊臣秀吉が大阪城を作った理由に摂津の重要性、②円形寺町の建設、③戦災の犠牲となった数々の寺院。
  5. 2018年1月:正月会

動画でみる摂津国分寺

  • 境内の紹介
  • 座主による寺院解説
  • 地蔵盆会(2017年8月)
  • 正月会(2018年1月)
  • 快圓律師中興300年記念大法会(2018年5月19日・20日)
  • 法灯の旅路の結び

リンク先は YouTube です。クリックしてご視聴ください。

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