薬師如来 結縁灌頂(11月下旬)のお知らせで申し上げましたとおり、11月22日から24日まで、国分寺では薬師如来結縁灌頂を行ないました。個人の入壇者、末寺の団体入壇者、そして代理参拝と、三つの参拝・入壇で賑わいました。お薬師さまとのご縁を結ばれた方々(入壇者)、改めておめでとうございます。
薬師如来結縁灌頂を終えて
入壇者は大阿闍梨(大阿様)の正面に座られ、サポート役の教授が側面で待機するという密教らしい密空間。いささか緊張した雰囲気が11月末の寒さと相まって、清々しい空気へと変わっていきました。入壇作法が密教的なので疲れが出た入壇者もいらっしゃいましたが、みなさん最後まで作法を続けられました。
薬師如来は人々の病気を治す(病気治癒)仏さま。施しを受ける私たちには除病安楽の御利益があります。多くのお薬師さまは左手に宝珠や薬壺を持っていて、右手の薬指を前に出しています。国分寺の薬師如来は左手に薬壺を持ち、右手を開いて天に向けています。正面から見るとハーイという具合に挨拶してくれているよう。見ているとなんだか、にこやかになってきます。
わたし自身は、合田管長をはじめ何人もの大阿様のサポートをいたしました。大阿様方々が読まれる真言や話される作法を間近に聴くことができ、また、作法の心構えや説法なども隣で聞くことができ、貴重な経験をさせていただきました。また、本尊の薬師如来のもとで改めて私自身の健康について考えることもできました。
お薬師さんと付き合う方法
具体的な場面で、入壇者は合掌を大阿様に向け、大阿様は両手の間に五鈷杵を入れます。合田管長がおっしゃったお話では「このように、毎朝、両手で薬を包んで飲む。そして、飲む前に少しだけ時間をとって深呼吸したり、お薬師さまの真言(おんころころ せんだりまとうぎそわか)を唱えたり、前向きに一日を想像したりすると、さらに効果がでます」。
仏さまだけでなく宗教全般にいえることですが、現代社会ではいろんな効果を疑うことが多く、長期的にみて宗教衰退の一因となっています。とくに現世の利益・効果を露骨に示す薬師如来は、その可否を人々から判断されがち。「お薬師さまのおかげ」ということもあれば、「薬師、効かないじゃないか!」ということも…。
しかし、合田管長のお話は、私自身の経験だけでなく、入壇者方々の表情の変化からも的を射ている気がいたしました。前向きに話を聴くだけで、みなさんが自然と笑顔になり、やんわりした表情で結縁されていきました。結縁灌頂が終わってから、毎朝、薬を飲む前に少しプラス思考で思い巡らし、ゆったりした気分の数秒間を獲得すること。この「束の間」を大切にすることで、薬の効果は実際に高まるはずです。
帰宅後に管長のお話を振り返ってみますと、米国の医療系サスペンス『サイド・エフェクト』(2013年)を思い出しました。この映画で主演のルーニー・マーラは、精神科医(ジュード・ロウ)から新薬(実験薬)を処方される被験者を演じています。新薬を定期的に被験すると、被験者への報酬だけでなく、担当医師には大きなマージンが製薬会社から支払われるという設定です。この利権をめぐって、ライバル二人の精神科医(他方はキャサリン・ゼタ=ジョーンズ)と患者たちが複雑な関係を築いていきます。
さて、映画によると、新薬を患者が飲むとき、できれば事前に薬の効果を知らずに飲むことが望まれます。あらかじめ効用を知ったまま薬を飲むと、新薬そのものに備わる効果が失われてしまうからです。興味深いのは、薬の効果を知ってしまうと一時的にでも治癒される場合があるという不思議です。
この不思議を映画で医師たちは懸念しています。しかし、患者にとっては、効果の分からない新薬を飲むには抵抗があります。その匙加減(さじかげん)や駆け引きにサスペンスが生まれるわけです。
薬師如来のプラセボ効果:プラスワンで前向きに考える
被験者があらかじめ薬の効果を知っていると、薬に備わる効果がなくなるのに治癒される場合があるという不思議は、一体、どういうことでしょうか。この不思議を医学で「プラセボ効果」といい、たとえば塩水など、薬としての効き目がない偽物の薬(プラセボ)を服用しても、被験者には症状の改善や副作用の出現が見られる場合があるのです。新薬の実験でプラセボ効果があれば、実験は信頼できないものになります。薬がもつ効果を測定できないからです。
ですから、医師としては、患者に新薬を飲んでもらって実験するとき、事前に効果を教えたくない、つまりプラセボ効果をなくしたいわけです。
一時的にでも偽薬(プラセボ)で症状の改善がみられる場合があるならば、これを前向きに理解することもできます。偽薬と本当の薬を併用するという手です。結縁灌頂で管長がおっしゃったように、両手で薬を包んだり「束の間」を確保したりして(プラセボ効果が出る)、その後に薬を飲む(投薬効果が出る)という流れ。この流れは医学において立証されていたわけです。ひょっとすれば効果が2倍になるオマケ付きかもしれません。もっとも、オマケが高じて副作用(サイド・エフェクト)が出現することもあるかもしれませんが、そういうときは改めて医師と相談していくことも大切です。
古今東西、さまざまな迷信がありますが、このプラセボ効果については万国共通で医学会でも認知されているものです。こう考えていって、勘の鈍い私は、ようやく「自己暗示」のことかと分かったのですが、プラセボ効果が出る原因は患者の暗示効果や期待効果だけでなく、治療環境などにも左右されます。ですから、暗示したり期待したりしながらも、他方で治療環境を整えていくことが治癒・治療には大切です。
★ プラセボ効果が出る原因 ★
- 暗示効果
- 期待効果
- 治療環境
合田管長の話はおもに短時間の「束の間」の大切さでした。そのためにも、一日に少しでもふとした時間をとって、リラックスできる生活を送ることが必要だと感じます。
薬師如来のプラセボ効果はプラスワンで前向きに考えると気楽になります。
私自身、昨年の春に初めてコロナに罹患し、後遺症として咳喘息を患うようになりました。これが相当に面倒。おまけに、秋には机にコツンと軽く膝を当てただけで靭帯が裂傷。内出血がないので無視していたのに、逆に血管や筋肉がクッションとならない場所を当てたという理由で靭帯を直撃して痛めたわけです。断裂にはならなかったものの、これが相当に激痛。お医師さんに尋ねたら「靭帯の損傷は骨折より痛い」と言われました…。このように昨年の体調は踏んだり蹴ったりでした(笑)。
咳喘息対策は暖かくすること。靭帯対策は足を曲げすぎず、伸ばせる時は足を伸ばしておくこと。このような薬以外の対策を基本としながらも、やはり寒さが強まってくると気道が狭くなりやすく、また立ちっぱなしでいると膝や腰も痛んできます。そういう時に体調を良くするには吸入器や鎮痛剤を投入すること。そして投入前には、妻やネコたちと一緒にぐっすり眠る姿を想像しています。すると、楽に早く眠りについて快眠できます。
世間では、ガンを患っても前向きに生きれば命が伸びると言われています。もちろん、医学の発展も後押ししていますが、医師にとっては患者の前向きな姿勢こそが治療の要だとよく言われます。もともと薬師如来は薬壺をもってみなさんへ薬を供与します。この役割は現代においては医師や薬剤師が担います。でも寂しく感じる必要はございません。薬の供与をしなくても、薬師如来には別の効果があったのです。
お薬師さまを拝んで(プラセボ効果)、そのうえで薬を飲めば効果倍増(の場合がある)。薬師如来、おそるべし。
薬師如来は国分寺の本尊で、昭和金堂(本堂)の正面奥に鎮座しています。ふだんから正面の戸を少し開けていますから、ご来寺の折はぜひ窓から覗いて「束の間」だけでも手を合わせてリラックスしてくださいませ。