春彼岸会・秋彼岸会
大阪天六にある摂津国分寺では、春分の日に春彼岸会、秋分の日に秋彼岸会を開催しています。
とくに秋彼岸会は百万枚大護摩供として盛大に執り行なっています。
これら彼岸会とは先祖供養の法要のことで、当寺では卒塔婆に戒名を写し廻向を行ないます。
- 春彼岸会…2024年3月20日(水・春分の日)の午前9時から塔婆を受け付け、午後1時から金堂にて法要
- 秋彼岸会(百万枚大護摩供)…2024年9月22日(日・秋分の日)の午前9時から塔婆を受け付け、午後1時から金堂にて法要
2023年春彼岸会の当日の様子はこちらをご覧ください。
彼岸会とは
彼岸会とは「お彼岸さん」として親しまれてきた古い葬祭の一つで、春分の日と秋分の日を中日として、前後3日も含めた1週間の法会です。
- 彼岸入り…前3日間
- 中日…春分の日・春分の日
- 彼岸明け…後3日間
各寺院では彼岸会の法要を執行し、参拝者で賑わいます。また、先祖の墓に参拝される方もいらっしゃいます。
家では彼岸団子や御萩(おはぎ)を作って仏壇に供えてきました。
文献上の初出
官撰史書『日本後紀』が文献上の初出で、これに彼岸会の始まりが書かれています。
806年3月、崇道天皇(早良親王)のために、春秋二仲月別七日のあいだ、諸国の国分寺の僧に、金剛般若波羅蜜多経を転読させました。
このように、もともと彼岸とは、仏道を修行し成就することでしたが、春秋二仲月別七日を定めたため、春分秋分と重なって、時節をも示す言葉になっていきました。
「暑さ寒さも彼岸まで」というように、春分・秋分とも季節の変わり目が分かりやすい日となっています。
語源
彼岸の語源はサンスクリット語(梵語)の「pāram」。仏教用語ではとくに「Pāramitā」(パーラミター)です。
この音訳が「波羅蜜多」、さらにこれを意訳して「到彼岸」となりました(異説あり)。
かろうじて、今の日本語で考えるとすれば、こちらの岸(此岸/現世)に対して、あちらの岸(彼岸/極楽)と考えられます。
昔から彼岸は西にあると考えられてきましたから、大阪・四天王寺の西門が彼岸への入り口とみなされた経緯も、これで説明がつきますね。
春分の日・秋分の日
春分の日・秋分の日は、日本の祝日のなかで月日が決まっていないレア・ケースです。
1948年7月に「国民の祝日に関する法律」をもって、「春分の日」「秋分の日」の祝日が定められました。
「国民の祝日に関する法律」では次のように規定されています。
- 春分の日…春分日。自然をたたえ、生物を慈しむ。
- 秋分の日…秋分日。祖先をうやまい、亡くなった人々を偲ぶ。
いずれも「春分日」「秋分日」と定められているだけで、具体的な月日が法律に明記されていません。
ご参考までに、電子政府の総合窓口(e-Gov)をご覧ください。
両日の具体的な月日は、前年2月1日付けの官報のうち「暦要項」にて公表され、これが指定する翌年の月日を正式決定とします。
この暦要項は、国立天文台が行なう暦計算の結果を記載したものです。