「国分寺寺報」第29号:2022年夏
2022年夏に発行した「国分寺寺報」第29号のうち、管長随想と宗務報告を紹介しています。
ウェブでの読みやすさを考慮し、適時「、」を増やしたり、「御」を削ったりひらがな化したりしています。
出会い
今まで多くの人や物と出会い毎日が出会 いからはじまっています。
そしてふれあい若い頃には、唯漠然と通り過ぎている様にしか感じなかったことが歳を重ねていく度にありがたいことと感じるように変化してきました。
いつも会う、たまに会う、一生に一度の出会いもあり、最近ではワクワクしています。
今、想うことは、しかめ面で会うのではなく、楽しく笑顔で出会うことを心掛けています。まずは、楽しもうと思い何を求めるじゃなく単純に「よかった。」「すばらしい。」「感動した。」 「めっちゃ普通じゃん。」とか何か一言を言える様にすると、自然と笑顔がはにかまれる。
まだまだ知らないことや食べ物にも次々 と興味がわいてきます。
出会いを大切にしていきたいと思う日々です。
寺の行事を通してもいっぱいいっぱい出会い、旅に出ても知らない土地やそこに住まわれている 方々と接し、たくさんの笑顔を頂き、またおいしい物を頂き、また来たいと思えます。常に新鮮に感じています。
これから、もっともっと知りたいことがあり、すばらしい出会いを求めたいと思っています。
(合田和教/真言宗国分寺派管長・大本山国分寺座主)
向暑のご挨拶
平素は国分寺の運営の為多大なご協力を賜り、厚く御礼申し上げます。
また、ウクライナ軍事侵攻により被害に遭われた方々、心を痛められている皆さまに、謹んでお見舞い申し上げるとともに、この深刻な事態が一刻も早く 解決し、ウクライナおよび世界に、平和で安全な日々が戻りますことを心より祈念いたします。
数年続いたコロナウイルス感染症による、度重なるイベントの「延期」や「中止」の言葉も、今年は全国各地で数年ぶり開催と、イベントの再開に日本の活気が戻ってきたように感じます。
国分寺でも、2年ぶりに顧問会が開催され、対面で思いを話し合うことの良さを改めて実感いたしました。無くなってより感じる日常の「当たり前」に感謝する事を痛感いたしました。
6月からは、外国人観光客の受け入れ再開、各都道府県実施の県民割により、日本経済の盛り上がりだけではなく、行動制限の緩和により、人々の笑顔を見る機会も増え気持ちも明るくな ります。
先日には、参議院選挙も終わり、gotoトラベル企画の再開も検討されており、今後さらにビフォーコロナの時のように、人や経済が動き出し、 日本の景気が上がってくることを期待いたします。
また最近の国分寺では、4月10日に花祭りのお祝い法要を執り行いました。
無事に終える事ができましたのもひとえに皆さまからのご支援、ご協力による賜物でございます。顧問会を代表し、心より厚く御礼申し上げます。
今夏には、地蔵盆祭りも催し盆踊りを復活する予定でございますので、皆さまどうぞお立ち寄りくださいませ。
今後も皆様の安全と幸せを祈り、どのようなご時世になろうとも、いつでも立ち寄れる心の拠り所のような存在であれる様に、国分寺顧問会として日々活動して参りたいと思います。
都合がつく際には国分寺にお越し頂 き、手を合わせ心穏やかに、自分の中にある落ち着いた気持ちを感じて頂けますと幸いに存じます。
皆さまのご健康と、益々のご繁栄を心よりお祈り申し上げ、今後とも引き続き、皆さまのご支援ご協力を賜りますよう、どうぞよろしくお願い申し上 げます。
合掌
(中村興司/大本山国分寺顧問会会長)
夏のご挨拶
夏の盛りいかがお過ごしでしょうか。
国分寺派末寺檀信徒の皆様、国分寺檀信徒の皆様におかれましては毎々本山護持の為、ご尽力賜り心より御礼申し上げます。
今年になり世情の不透明さは更に増したと感じているのは私だけではないと思います。
コロナ禍も愈々出口が見えてきたかと明るさを感じるようにもなった反面、それ以上に甚大な影響がロシアとウクライナの戦争により世界中に波及し、メディアは情報で溢れそれを見ている人々は大変心を痛めています。
国分寺も先の戦争で伽藍のすべを失い何よりも大切な寺宝である仏様は勿論、書物や歴史的な資料などは二度と取り戻せず内容も知ることが出来ないのです。
現代の戦争の様子を見ていますと目も覆いたくなるような徹底的な破壊活動は許しがたいものがあります。
国分寺は戦後ゼロからスタートし80年程でようやく旧観を取り戻しつつありますが失ったものの大きさは 計り知れません。
我々は日々仏様に手を合わせコロナの終息、戦争終結、世界平和を願っています。
一方で我々国分寺派は来年善通寺で執り行われる弘法大師御誕生1250年記念大法会に出仕できる栄養を賜りいよいよあと1年を切り私自身高揚する気持ちでいっぱいでございます。
善通寺は宗祖弘法大師の誕生所として、また四国八十八ヶ所、霊場第七十五番札所として皆様ご存じのことと思います。
四国遍路といえば「同行二人」言い換えれば御大師様との「二人三脚」の修行の旅でもあります。
約1200年も前から霊場巡礼の険しい道のりを心が折れそうな時には御大師様が寄り添って下さりどんな困難にも立ち向かう事が出来ると、とても心強くなるものです。
我々も日々の生活の中にもそのような考え方を備えていれば様々な困難にも立ち向かい必ず解決できることでしょう。
私もある時ひどく独りよがりをしていたことに気づきました。何事も一人で出来ることなど限られているのですが時々立ち止まることも必要です。
さて最近の国分寺は講堂の竣工に伴い境内整備をすすめておりましたが一通り落ち着きを取り戻し、久しぶりに地方より本山を訪れる方々からは「良くなったね」と言われることが多くなりました。
遠く北海道よりお参りに来られた方もいらっしゃってコロナ禍で良かったことを一つ挙げるなら本山にお参りに来てくださる方が従来来られている方々に加え増えたこと、それも 若い年齢の方です。男性も増えました。
一人でも国分寺のファンが増えるよう笑顔の絶えない境内にしてまいります。
次に皆様が国分寺に訪れる時には「良くなったね!」と言って頂けるよう精進してまいります。
合掌
(糟谷眞教/宗務総長)
ご挨拶
暑中お見舞い申し上げます。
令和4年上半期が終わり暑い夏がやってきました。
私が担当しております国分寺御廟も昨年の開園より400件の契約を頂き本年1月より6月までの間に9件の法要を執り行いました。
我々職員は一つの法要を大切に、ご家族の皆様と共に儀式を行っております。
その中で皆様に安心をして頂くために、国分寺の僧侶・協力寺院・同伴寺院の皆様 の意見を伺い法要の進行形を変化さ せており、様々な宗旨の寺院とお話しさせて頂き、法要の進め方や法話の方法を日々勉強させて頂いています。
また参拝の方々も増えており職員と境内で世間話をしている姿をよく見かけます。まだまだ良くできる部分がありますのでより良い方向に進めていきたいと考えています。
令和4年下半期は国分寺御廟の運営と共に国分寺の定例法要の充実や新規に企画しております境内での骨董市を実行できるように動き始めますのでご期待頂けましたら幸いです。
個人的にはよく相手の話を聞く、そして自分の意見を伝えるということを今まで以上に大切に考え行動します。
今後とも皆様の国分寺への御協力を頂けますようお願い申し上げます。
(名幸観教/執事長)
総本山善通寺弘法大師1250年記念大法会に向けて
暑中お見舞い申し上げます。
上半期も国分行事を滞りなく勤めさせてい ただきました。末寺を始め、信徒と皆様方には、コロナ渦の中御参拝していただきありがとうございました。今年度国分寺会では2年ぶりに30人を超える末寺に集まっていただき、活 気のある法要が執行できこと私自身嬉しく思います。
令和5年5月19日には、香川県善通寺において「総本山善通寺弘法大師1250年記念大法会」が執り行われ ます。少しでも多く末寺・信徒の皆 様に興味を持って総本山善通寺に御一 緒に足を運んでいただきたいと思い、 文章での説明にはなりますが読んでいただけると幸いです。
先ず初めに、 国分寺が総本山善通寺の行事を出仕するにあたり、少しばかりどういった内容の記念会なのか、また出仕にいたる経緯をご説明させて頂きたいと思います。
今回の総本山善通寺弘法大師1250年記念大法会は、御大師様がお生まれになってから1250年の年月が経ち、現在でいうと御大師様の御誕生日にあたります。それを記念して寺の境内御影堂にて令和5年4月2日~6月13日の約2カ月間、真言宗18本山をはじめ真言宗の寺院が御大師様のご生誕をお祝いし、期間中毎日、法会を行う形になっております。
次に今回の出仕に至った経緯ですが、コロナが流行る3年前ぐらいに、国分寺事務所にて、国分寺職員の皆様と次の行事に向けて話していたところ、「次の大きな行事をするときは末寺さんと檀家さんと泊りで行って旅館で宴会でもできたらね」と話をしていたところ、たまたま四国の善通寺で大きな行事を行うという話を偶然知り合いから聞いたのを思い出しました。
その当時は、名幸執事長と一緒に他宗さんと交流する機会が良くあり、会食の場である御寺さんの住職に単刀直入に「大本山国分寺として善通寺さんの行事にお手伝いさせていただけませんか?」と尋ねたところ快く引き受けていただきました。
次第に法会話を周囲から聞いていると、お手伝いではなく、御寺として法会に出仕したい気持ちが高まり、断られるのを覚悟で善通寺の宗務庁に電話したところ、私達の出仕をしたい熱意が伝わり、総本山善通寺から出仕要請が正式に決まり、今に至ります。
次に、少しだけ善通寺の歴史をご紹介させていただきます。
善通寺の創建は、「多度郡屏風浦善通寺之記」(江戸時代中期成立)によると、唐より帰朝されたお大師さまが、父の寄進した四町四方の地に、師である恵果和尚の住した長安・青龍寺を模して建立したお寺で、807年(大同2)臘月(陰暦12月)朔日に斧始めを行い、813年(弘仁4)6月15日に落慶し、父「善通(よしみち)」をとって「善通寺」と号したと記されています。
鎌倉時代に佐伯家の邸宅跡に「誕生院」が建立され、江戸時代までは、善通寺と誕生院のそれぞれに住職をおく別々のお寺でしたが、明治時代に至り、善通寺として一つのお寺となりました。現在は真言宗善通寺派の総本山であり、四国88ヶ所霊場の75番札所でもあります。
次に境内の説明をさせていただきます。
本尊・薬師如来を安置する金堂、高さ43mの五重塔、樹齢千数百年と伝えると大楠と数々の重要文化財があります。東院(伽藍)は、唐より帰朝した空海が807年(大同2年)に建立したと伝える寺域です。本堂である金堂は、お大師さまが密教を学んだ唐の長安・青龍寺の伽藍を模して建立されたと伝えられています。
しかしながら、1558年(永禄元)の兵火によって、創建当初の伽藍諸堂は全焼してしまいました。
その後、戦国時代が終わり、京極家といった讃岐の大名をはじめ、朝野にわたる援助により再建が進み、現代に至ります。
西院は、お大師さまご誕生の聖地、西院(誕生院)には、もともと、お大師さまの出身の佐伯家の邸宅がありました。東院の「善通寺」創建の時には、父君・善通卿も母君・玉寄御前も佐伯家の方々は、この邸宅にお住まいになっていたそうです。
鎌倉時代になり、その跡地に御影堂を中心とした「誕生院」が整備されました。
御影堂奥殿のある場所は、その佐伯家邸宅のありし時は母君のお部屋のあった場所と伝わっています。戒壇めぐりは、まっくらな中を進んで自己を見つめなおす精神修養の道場で、その中央は奥殿の真下にあたります。
あわせて、産湯井と寺宝を収蔵する宝物館が拝観できる様な形になっております。
最後になりますが、今回、「総本山善通寺弘法大師御誕生1250年記念大法会」に向けて、少しでも多くの方に知っていただき、興味を持っていただけたらと思い書かせていただきました。約3年前からこの行事に向けて色々な方と出会い、支えていただきここまできました。
私の思いとしては、末寺、檀信徒の方々と令和5年5月19日10時、総本山善通寺御影堂で一緒にお勤めできたら幸いです。 私自身も来年に向けて精進して参りますので、皆様方にはご協力の方、宜しくお願いします。
(平賀照教/執事)
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