謹賀新年
みなさま、謹賀新年(新年快楽)。
2023年が明けまして、おめでとうございます。
国分寺では、昨年以上に御供所や国分寺御廟が連携を強め、より安心のできるお寺をめざして寺務活動を進めてまいります。
2023年は空海(弘法大師)が生誕して1250年にあたります。
本年もご参拝のほど、よろしくお願い申し上げます。
「国分寺寺報」2023年新春号
年末に、末寺様や檀家様を中心に「国分寺寺報」2023年新春号を郵送いたしました。
このページでは、本号に書ききれなかった内容も含め、わたくし観寧が真言宗僧侶として出家したことについて、ウエブ版としてたっぷり書いております。
ご感想を大歓迎しています。お寺でもメールでも伝えくださいませ\(^o^)/
「国分寺寺報」本文(出家を前に)
みなさま、こんにちは。
職員の岩本真一(観寧)です。
猛暑の6月から国分寺職員として働いております。気がつけばもう冬です。
厳冬といわれていましたが、暖冬とも思える日があったり、苔の広がり具合が順調で嬉しい限りです。
これまでの半年間、掃除、御朱印書き、ホームページ作成(これ)、御廟案内など、いろんな仕事に従事し、多くの参拝者方々と接してまいりました。
その過程でだんだん、僧侶になりたい気持ちが高まり、2022年12月12日、得度を受けることにいたしました。
前号の時報にも記しましたが、大学での仕事が減ったうえに、コロナ禍で公共交通機関を利用する不安が大きくなり、打開策として国分寺で仕事を始めました。
仕事を続けていくなかで、体を動かす作業や、頭・口を使う仕事が噛み合ってきて、改めて自分や社会を見つめ直しています。
バブル経済が崩壊したのち、日本の社会や経済に活気はなく、2000年代はまだしも10年代になってから特に、多くの人々がこのことを実感するようになりました。
事実を実感することと社会をみつめること
事実を実感してしまうと、枯れていく姿は加速します。何か楽しいことはないかなぁと外を見ても、枯葉や落葉の美しさだけが目立ってしまい、いまの季節も相まって若葉を忘れがちです。
そういう時、私はお寺を想像するようにしています。
半年の仕事をとおして、お寺空間が、人の外界か内界かよく分からない新鮮な広がりをもつと思えます。
参拝者の方々を見ても新鮮です。
毎朝・毎夕に仏像を拝まれる方、よく御廟へ墓参される方、御朱印を求めに参拝される方……。参拝者方々にどのような経緯があろうとも、お寺へ行くこと自体、とても積極的な行為だと痛感します。
社会や経済の外部がどうであれ、外部の見方や受け取り方は人それぞれです。暗いと思っている世界に光を灯すことは自分自身だからこそ可能です。
出家(得度)への思い
こんなことを思いながら私は、拝む行為にもう一歩踏み込んで、自分自身の声で拝みたいと感じるようになりました。
はるか中国西安市の青龍寺にいたる弘法大師の足跡にも関心を持ちながら、まずは来年5月の生誕1250年記念祭に僧侶として参加できるよう勤めてまいります。
最後に、ご参拝される方々を温かく迎える一方で、皆様からの修行励ましも歓迎しております。
お師僧さんと管長にご相談いただいた僧名は観寧です。
今後ともどうぞ宜しくお願いいたします。
岩本観寧
ウェブ版「得度を前に」
ここからは、「国分寺寺報」に掲載しなかった補足です。
この摂津国分寺の公式サイトを開設して2か月半。僧侶になることを尋ねられることが増えてきました。
出家を決意した経緯
昔から自我が弱い
昔から私は自我が弱く、憧憬する・尊敬する人たちの話を鵜呑みにする癖がありました。
30代になってからは、憧憬する・尊敬する人たちの話でなく、信用できる・信頼できる人たちの話を鵜呑みにした方が《導いてもらえる》と思うようになりました。
50歳を越えた今でも自我が弱いことに変わりはないので、次のような状況が重なったことから、出家を決意しました。
つまり、他人から勧められたから決意したわけです(笑)。
出家した理由
- 帰宅後に妻に話す《今日のお寺と仕事》が徐々に楽しくなり、妻が出家を勧めた
- 実家の両親に話す《最近のお寺と仕事》がとても楽しそうで、両親が出家を勧めた
- 研究者仲間のお二人が《岩本教を実践する時だ!》と冗談めいて勧めた
こういう具合に、他人を理由に出家を決意しました。
私にとって決意とは?
ふつう、人は自分で決意したがるものですが、そのとき、決意をするときにプラス要因を多く探して、マイナス要因は対処できると踏みます。
でも、私は自分を信用できない人間ですから、プラス要因を描くのが苦手でした。
となると、信用できる・信頼できる人たちの話を鵜呑みにする方が楽に考えられるのです。
名幸観教執事長と合田管長
名幸観教執事長も合田和教管長も「僧侶になるべき理由」を説明され、また、「僧侶としての私の未来像」を描いてくださいました。
この半年間、合田和教管長から、お会いする度に必要最小限の会話から励ましや仕事の構えなどをお話して頂き、その都度、ゆっくり大きく深呼吸できました。
名幸観教執事長からは、いろんな掃除、御供所での御朱印書き、堂内墓地での細かな作業、法要の手伝い方など、きめ細かなアドバイスを頂きました。
それらアドバイスが私の成長に合わせたタイミングで伝えられたので、教育力のある方だなと私は感心しました。
社会を広げる
私たちは、つい身近な地域や自分の所属する国などに社会を限定しがちです。
確かに日本経済は活気がなくなり実力も失いました。だからといって、憂いていると勿体ないです。世界経済が元気なことに変わりはないからです。
世界経済の主役は変わってきています。大まかには次の具合です。
- 古代…インド・中国
- 中世…ヨーロッパ(イタリア→ポルトガル→スペイン→オランダ→イギリス)
- 近代…イギリス→アメリカ合衆国
- 現代…アメリカ合衆国→中国
私は大学と大学院で経済学を学びました。
経済学が優れている唯一の点は、理系と同様、国境を越える力があることです。
社会を広く考えると、日本経済がダメでも中国経済が元気なのだから、中国へ遊びに行けばいい。
私は、そう考えています。
今はコロナ禍なので海外旅行がやりにくいです。
それなら、社会を狭く考えて、中華圏出身者の経営するレストランを何軒か近所で探してグルメを楽しむ(天六・天満には無数にあります)。
空海や僧名から中国へ思いを馳せる
妻は中国雲南省の昆明市の出身です。
妻のライフ・ストーリーを越えてもっと中国を遡れば、空海(弘法大師)がは生身の身体を持って数ヶ月に渡り中国へ行きました。中国陝西省西安市青龍寺です。
空海の乗る船が難破したエピソードを思うに、今は海外文化にアクセスしやすく、これをうまくプラスに変えることはコロナ禍にあっても簡単です。
さて、11月末、晩ごはんを食べながら妻と話していて偶然二人が出した「観寧」、如何ですか!?
18画+14画で合計32画、これの運命画数を開運暦から添付いたします。管長と師匠とも話をした上で観寧に決定しました。
弘法大師が立ち寄った地域のひとつである浙江省寧波市にも思いを馳せております。
初稿:2022年11月28日(月)